努力と才能。努力不足で終わらすのは可哀想・・・

真っ暗になった後でも素振りをし、雨の中ランニングをしていた少年。
彼の父は野球狂。
自身が憧れたプロへの夢を息子に託した。

ところで、「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。」とトーマス・エジソンが言ったのが有名になりすぎて、努力が大事というイメージが強いかもしれない。

私はその野球少年を見続けて、
「才能とは水を入れる器」
「努力は器に注いだ水の高さ」
「努力で身についた能力は水の量」だと感じた。

ここに、才能の器がコップなA君とバケツなB君がいた。
1年の努力量が同じなら、コップにもバケツにも1cmの水がたまる。

でも水の量は、バケツの方が圧倒的に多い。
数年後、コップはいっぱいになり水が溢れる。
それ以降は、水の量を増やしようがない。

一方バケツは、まだまだ水をためられる。

・・・こんな事を言ったら「努力を否定しているのか?」と言われそうだが、努力は必要だと考えている。
水が入ったコップの方が、空のバケツより水の量は多いから。
でも、誰より努力をしても器が小さいと、能力は・・・

冒頭の少年よ、君は小学生で4番バッター。中学生で8番バッター。高校で補欠になったね。
でもおじさんは知っている。

小学校低学年なのに、素振りが終わるまで家に入れなくて、泣きながらバットを振っていた君を。
雨の日も雪の日も走り続けた君を。

君はプロ野球選手と同じだけ努力をした。
君のコップは、水が溢れているさ。
大丈夫、他の分野なら君もバケツの器を持っている。

「結果が出なかったのは、努力が足りなかった」なんて事は絶対に無い!
と、俺が保証する。

だって、おじさんも頑張れど頑張れど貧乏のままだし・・・




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