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そんな報道を見ると、私は色々思い出し複雑な気分になります。
私は、人生の経験において動物を可愛そうと思う気持ちを失ってしまったのか、元から持ち合わせていないのか・・・動物のニュースに心を動かされる事はありません。
逆にどれだけの人が、心から可愛そうと感じているのか知りたいです。
というのも・・・
我が家は、私が生まれた約40年前には、まだ昭和初期の生活のままでした。
そんな我が家では、ウサギと牛を飼っていました。
家の物置と化したひさしの下に、祖父が作った80cm×60cm×60cmほどの木製の小屋に2匹のウサギがいました。
私は物心がついたときから、そのウサギはペットだと思い込んでいました。
足元の草をちぎっては、ウサギに食べさせて可愛がっていました。
祖父、祖母にウサギの名前を尋ねても、「名前は付けてないよ。」という返事でした。
「?・・・ペットなのに名前が無いのか~?」と不思議に感じたのを覚えています。
ある日の夕食に、美味しくない鶏肉が出てきました。
翌日学校から帰り、ウサギ小屋へ行くとウサギがいません・・・
祖母にいないことを伝えると、「昨日食べたから。」との返事。
・・・(驚)
私は怒り「なんてことを!」と祖母に問い詰めました。
祖母の説明は・・・
ウサギは、その辺にある草を食べさせておけば大きくなります。小屋も小さくてすむし、散歩も必要ありません。たから私の地域では、昔からウサギを食用として買っていたらしいです。
我が家のウサギも食用として飼っていたのです。名前を付けると、食べるのが可愛そうになるので名前が無かったのです。
父も給料をもらい、買い物もできる状況となり、もう食用のウサギを飼う必要も無くなったので食べるつもりだったのですが、私たち兄妹が可愛がるのを見て、食べずにいたらしいです。
しかし私たちは、しょせん遊びです。
糞の片付けや、水やりなどの世話は祖母が毎日行っていたそうです。それが祖母も年を取り、世話が大変になった事で食卓に並んだのです。
同時期に、我が家には牛もいました。
トラクターや耕運機、自動車が無い時代に牛はその代わりとして、農家では飼っていたようです。
牛のいない家は、他の家から牛を借りて米を作りました。牛無しでは作業が大変で米は作れない時代でした。
そんな我が家も自動車や、耕運機を購入したことにより、牛はペットとして飼われていました。
当時のトイレは外にありました。
トイレに行く際には牛小屋の前を通ります。その牛の大きかったこと!当時の私の目線では、牛の背中は見えません。
そんな巨大な牛ですが、非常に賢く、おとなしい生き物です。
直径10cmほどの木の棒3本で囲ってある小屋ですので、その気になればへし折って外に出ることなどたやすいでしょうが、脱走したことはありませんでした。
いつもモグモグと口を動かし、トイレに行く私を目だけ動かして見ています。
近くへ行き話しかけるとノソっと立ち上がり、近寄ってくるのが可愛かったです。
そんな牛も、ある日学校から帰るといなくなっていました。
祖父に聞くと、「売った」とのことです。
牛も飼うのは大変です。敷きワラや、エサとして大量のワラが必要です。牛小屋の掃除は糞と敷きワラを出して畑に埋めます。家族全員での作業です。
「その牛は売られてどこへ行ったの?」と聞くと「牛肉になるだろう。」とのことでした。
更に大人になってからも、牛(牛肉?)の切なさを知りました。
大人になってから近所の老夫婦が買っている牛を売る為に、車に積む必要があり手伝いに行きました。
牛は普段おとなしいですが、一旦機嫌が悪くなると大暴れするようで、興奮して走り出そうものなら1日中追いかけまわさなければ、捕まえられません。
そうならないように、手伝いの要請が来たのです。
その家は農業を行いながら、数匹の牛を育てて食肉用として出荷する小さな牧場の様な事を行っていました。
夫婦も年を取り、牧場業を廃業する際に、最後に残った牛一匹をペットとして飼っていました。
残念ながら、それもできなくなり売ることにしたようです。
老夫婦の家に行くと、二人は牛の体をワラで拭いてあげています。
そして人に語りかけるように「今までありがとう。ありがとう。」とつぶやいているのです。
牛をトラックに乗せる時には、おばあさんは泣いていました。
おじいさんは「怖くないからトラックに乗るんだよ。」と牛に優しく話しかけています。
その牛は暴れず、自ら歩いてトラックの荷台に歩いて上ります。
その牛は荷台へと歩きながら、大きな目から大粒の涙をポタポタ流していました。
牛は怖かったのでしょうか?それとも何か感じるものがあったのでしょうか?
ただただ静かに涙を流しながら、自ら荷台へ向い歩くのです。
その牛は、トラックが家から出発するときに始めて「モ~」と鳴きました。
聞いたところ、その牛は12万円で売れたそうです。
あの場面を見ていた私は、何ともやるせない気持ちになりました。
牛の行き先は屠殺場ですから、もちろんそのあとは牛肉となってスーパーで売られているのです。
そんな経験をして、
「昨日の肉美味かったね。」
「あの店の肉はおいしいんだよね。」
と普段言っている人間が、「福島の避難地区で死んでいる、牛がかわいそう。」
なんて真剣に言っているのを見るとヘドが出ます。
昨日の牛肉と、福島の牛はどう違うのでしょうか?
あなたが食べている牛肉も名前が付けられ、家族として生きてきたペットかもしれません。
・・・ただ、それは仕方が無いのかもしれません。
例えば、
あなたは、ギブスをつけて松葉杖をついている人が階段で困っていたら、助けるでしょう。
それを見た人はあなたを優しい人だと感じます。
実はそのギブスの人は、飲酒運転で歩いていた家族を3人殺した人です。その事故で足を骨折していたのです。
それを知っている人が同じ光景を見たときには、苦々しく思うでしょう。
そんな風に背景を「知っているか、知らないか。」の違いなのかもしれません。
牛=牛肉とならない人達もいるのでしょう。
ちなみに私は、牛肉が大好きです。
生きるってそういう事ですよね?
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